2007年の新潟県中越沖地震の際に、同業者の仲間が被災し、「被災者は家があるのに崩れていて入れない」「工期が遅れて、第二の被害になってしまう」という苦しい胸の内を聞き、いてもたってもいられず駆けつけました。
まとまった日数は取れなかったのですが、複数回訪れ、ガレキ撤去などの作業を行いました。
2011年の東日本大震災でも、やはり同業者仲間のつながりで、福島県の複数箇所に出向き、従業員とともに、私たちのできることを尽くしました。
2007年7月16日に発生した新潟県中越沖地震は、その3年前の新潟県中越地震による苦難の記憶もさめやらぬ新潟県に、再び大きな被害をもたらしました。
県下20の市町村が被災し、15人の尊い命が失われ、重軽傷者は2,000人を超えたほか、ピーク時には1万2,000人以上の方々が避難所での不自由な生活を余儀なくされました。
(「新潟県中越沖地震記録誌」より引用)
東日本大震災は、2011年3月11日14時46分頃に発生。三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする地震でした。
マグニチュードは、1952年のカムチャッカ地震と同じ9.0。これは、日本国内観測史上最大規模、アメリカ地質調査所の情報によれば1900年以降、世界でも4番目の規模の地震でした。
(内閣府HPより引用)